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2011年03月 アーカイブ

2011年03月29日

黄河について

黄河の下流域は中原と呼ばれる。この地は黄河文明発祥の地であり、過去に歴代王朝の都が置かれた。

黄河は上流・中流で黄土高原を通り、多くの支流が流入するため、大量の黄土を含む。黄河が流送する土砂は年間16億tと言われ、その土砂の堆積により、河口付近には広大なデルタ地帯を形成している。

下流部は天井川となる。そのため古来よりたびたび氾濫し、大きく流路を変えてきた[1]。かつては渤海北部の天津付近に河口があったり、南の黄海に流れ込んでいたこともある。それらの元流路は黄河故道と呼ばれている。また、日中戦争中の1938年には日本軍の侵攻を阻止しようとした中国国民党によって堤防が爆破され、流路が変わった(黄河決壊事件)。1947年に堤防の修復が完了し、河口が現在の位置になった。

戦後、三門峡ダムなど大規模なダムが建設され、大水害は減少した。しかし、1970年代以降、工・農業用水の需要増大に伴って、下流部で流量不足になり、河口付近では長期にわたって断流するなどの問題が起きている(1999年以降、断流は発生していない)。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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